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地球は大昔ひとつの超大陸『パンゲア大陸』だった~壮大な地球物語

   


パンゲア大陸(パンゲアたいりく)は、ペルム紀から三畳紀にかけて存在した超大陸である。

1912年にアルフレート・ヴェーゲナーは、自身の提唱する大陸移動説の中で、現在の諸大陸は分裂する前に一つであったとの仮説を考え、この仮説大陸をギリシャ語で「すべての陸地」を意味する「パンゲア大陸」と命名した。

当初、大陸を動かす原動力が説明されておらず、このような移動は物理的にありえないとされたが、ヴェーゲナーの死後、1950年以降次々に新事実が見つかり、プレートテクトニクス理論として再評価されている

大陸移動

大陸移動説(たいりくいどうせつ、英: continental drift theory, theory of continental drift)は、大陸は地球表面上を移動してその位置や形状を変えるという学説。大陸漂移説(たいりくひょういせつ)ともいう。

発想自体は古くからあり様々な人物が述べているが、一般にはドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーが1912年に提唱した説を指す。ウェーゲナーの大陸移動説は発表後長く受容されなかったが、現在はプレートテクトニクス理論の帰結のひとつとして実証され受け入れられている

これについて言及している人物は、もっとも古くはフランドルの地図製作者アブラハム・オルテリウス (1596年)がいる

フランシス・ベーコンも1620年に西アフリカと南アメリカの形状の一致について述べており、セオドア・クリストフ・リリエンタール(Theodor Christoph Lilienthal、1756年)は大西洋にあったとされる大陸アトランティスの沈降と海水準の変動に絡めて考察している

1億8000万年前のジュラ紀になると、南北に分裂し、北はローラシア大陸、南はゴンドワナ大陸となった。両大陸は、更に分裂していった。

アレクサンダー・フォン・フンボルト(1801年, 1845年)は、「大西洋は一種の巨大な河底として誕生した。そしてその河川水がまわりの大陸の海岸線を削り取っていった」と述べており、その理由として南緯10度以北の海岸の並行性をあげている

アントニオ・スナイダー=ペレグリニ(英語版)は1858年に『天地創造とそのあばかれた神秘』という本の中で南北アメリカをヨーロッパとアフリカに結合した図を載せている

具体的に証拠をあげて、かつて大陸同士がつながり超大陸を形成していたと述べたのはエドアルト・ジュース(1901年)で、ペルム紀に栄えた裸子植物グロッソプテリスの化石の分布から、南アメリカ、アフリカ、インドが一つの大陸だったと考え、ゴンドワナ大陸と名付けた

ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングは1907年に、かつて超大陸として1つだった南北アメリカとヨーロッパ、アフリカが、月が太平洋から分離したため分裂を始めたという考えを述べている

古生代ペルム紀の終わりである2億5000万年前頃に、ローレンシア大陸、バルティカ大陸(ローレンシア・バルティカ両大陸は既にデボン紀には衝突し、ユーラメリカ大陸を形成していた)、ゴンドワナ大陸(ペルム紀初期にはユーラメリカと衝突)、シベリア大陸などすべての大陸が次々と衝突したことによって誕生し、中生代三畳紀の2億年前ごろから、再び分裂を始めた

超大陸の完成時、地球内部からスーパープルームが上昇して世界各地の火山活動が活発になり、ペルム紀と三畳紀との境界(P-T境界)に当時生きていた古生代の海洋生物種のうち、実に95%以上が絶滅した。

パンゲア大陸は、赤道をはさんで三日月型に広がっていた。三日月内部の浅く広大な内海であるテチス海では多くの海洋生物が繁殖した。

内陸部は海岸から遠いため乾燥した砂漠が荒涼と広がっていた。ほぼ全ての大地が地続きで動植物の移動が促進されたため、生物多様性は現在よりも乏しく均質だった。

パンゲア大陸の形状については、三日月型ではなく、上記地図のユーラシア大陸の凹みとオーストラリア大陸の凸部とが丁度つながり、丸くなっていたという説もある

大陸移動説に対する評価は様々だった。ヨーロッパやその南半球の植民地などでは当初好意的に評価する研究者も多かった

否定的に評価したのはアメリカの研究者たちだった。当時知られていた物理学では、大陸移動をおこすような駆動力は説明ができなかったためである。彼らはしばしば、ウェーゲナーを専門外の学者として感情的に批判した

日本では寺田寅彦が好意的に紹介したが、1924年のハロルド・ジェフリーズらによる批判が知られるようになると取り上げる研究者は少なくなっていった

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