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マジで?マチュピチュの観光街の初代村長は日本人!

   


マチュピチュの麓に村を作った日本人がいる!


MACHU PICCHU, PERU – MARCH 20: Tourists view the Inca ruins of the Machu Picchu sanctuary on March 20, 2005 near Cusco, Peru. The 15th-century Inca site, MachuPicchu also known as ‘The Lost City of the Incas’ is situated high above the Urubamba River. Now a UNESCO World Heritage Site it was discovered in 1911 by the American historian Hiram Bingham. (Photo by Jim Dyson/Getty Images)

日本からめちゃくちゃ遠いですけど……

1895年11月18日に福島県安達郡大玉村に生まれた。

「海外で成功したい」という希望を胸に、1917年契約移民としてペルーへ。

この時代に「海外で成功したい」って、野心大きすぎ!!

野内氏は国鉄クスコ-サンタ・アナ線に勤め電車の運転や線路拡大工事に携わり、クスコ~マチュピチュ間の線路を完成

その頃には、マチュピチュの麓には小さな集落があっただけだったが、野内はそこに暮らし始めたらしい。

何もなかったマチュピチュ村に川から水を引いて畑をつくったり、水力発電をつくり村に電気をもたらした

すごすぎるだろ……

大木が倒れた拍子に出来た穴から湧いて来たとか。
そんなことがあるんですね。

与吉は石で囲って入れるように整備して村人に開放した

率先して動いたのが野内だった。

その温泉は現在、遺跡以外の重要な観光名所として観光客を招いている


Photo by Photodisc / Photodisc

遺跡と温泉で多くの客を見込めると踏んだ。

1935年には、この村で初の本格的木造建築である「ホテル・ノウチ」を建てた

2階も村長室や裁判所として利用されるように

「ホテル・ノウチ」が村の中心となって、発展を支えていきました。

与吉はスペイン語のほか先住民の言語であるケチュア語に通じ、英語も喋り、現地のガイドもしていた。
このことも人々の信頼を買う一つの理由だった。

1939~1941年にマチュピチュ村の最高責任者である行政官を務めた。

1948年に与吉はマチュピチュ村村長に任命された

正式に「村」になったのが1948年なので、野内が初代村長ということに!

1968年8月29日に野内与吉さんは天国に召された

日本ではなく、マチュピチュの村に眠りました。
今でもご親族の方が野内さんの功績を世に広める活動を行っています。

他にも世界遺産とゆかりの深い日本人はたくさんいる


Photo by Jupiterimages / Photos.com

平戸藩士(今の長崎県)
生年不詳 – 延宝2年3月28日(1674年5月3日)

今から340年以上前に落書きをした日本人が…

当時は船旅。船の安全性も今と比べたら断然低いので、危険も多かったはずなのに……

父の菩提を弔い、老母の後生を祈るため

アンコール・ワットの回廊の柱に墨書(落書き)を残した

もちろん当時は世界遺産という認識が無かったとは言え、なかなか大胆ですよね。

剥げかかったりしている部分が多いそうですが、それでもよく見れば判読可能な部分もあるみたい。

12行にわたって4体の仏像を奉納したことなどを記している

訪れた際には是非見てみたいですね!

サグラダ・ファミリアの主任彫刻師は日本人だった


Photo by Liquidlibrary / liquidlibrary

有名な建築家、ガウディの未完作品。
完成は2026年の予定とのこと。

そとお・えつろう
1953年生まれ
京都嵯峨芸術大学の客員教授でもある。

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